この春、定年となる兼秀先生の慰労会として、3Lを中心にささやかな
パーティが催されました。卒業式後にメルパルク千種での開催です。
先生ととともに千種駅まで歩き、楽しいひと時です。新たに慰労会
からの参加者も加えて、歓談となりました。
ここで、何名ほどが卒業式に出られないのかを先生に伺いました。
「君たちの時代は50名ぐらい、今は30〜40名ほどだねぇ」と明るく
お答えいただきました。古文だけでなぜか赤点という理不尽な扱い
を受けた友人も多数いたことを思い出します。当事者の先生はすでに
お亡くなりなので、真相はわかずじまいです。(この頃から社会の
現実を教えたのだという意見もありました。)
式に出られない卒業生の処遇は次のとおりだそうです。まず追試が
パスすると、明照殿での卒業式になるそうです。それがダメな時には
追々試があり、合格すれば校長室での卒業証書の授与になるとのこと。
兼秀先生によれば、最後の卒業式は、卒業生よりも見守る教員の方が
多いそうです。それだけに価値はあると朗らかにお答え下さいました。
先生は、ご参列いただくご父母に感動されるそうです。
これまで、全体が掴めないままでしたが、30年後に少しだけわかった
ような気がしました。
また、昔話をご披露いただきました。中学で数々の名を馳せた我々の
学年は高校の先生方にとってもかなり話題になっていたそうです。
(武勇伝でも、さすがに詳しくは書けませんが・・・)
そこで、当時の若手教員を中心に問題の学年に立ち向かったそうです。
先生にとってはとてもよい思い出のある学年だったとの温かいコメント
を下さいました。
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